不用品回収の転職
一人でどこにでも行けた。」と書いていた前向きな気持も、次第に凹み気味になるへタレなところもたまらない。沖縄でステーキ、高松でうどん、広島のお好み焼きに、熊本の馬刺し、福岡でラーメンと各地の名物を「毎日でも食べられます」と堪能し、不用品回収のランクに一喜一憂。そんないわば旅の枝葉部分だけでも充分楽しいのに、加えて「野球」についての描写が、これまた見事。といっても、技術論はもちろん精神論的な「語り」は一切なし。淡々とそのキャンプや試合風景を描写しているに過ぎないのに、読んでいるだけで胸が熱くなる。例えば、二軍の試合を見に行った「東北編」にはこんな文章が。「ファームの試合を観たのはこれが初めてだが、退屈はしなかった。怠慢プレーがひとつもなく、プロにありがちな気取り屋もいない。みんなひたむきなのだ。おそらく一軍で活躍できるのはこの中の数人に過ぎないだろう。でも全員が可能性を信じている。「今度はテレビに映れー」客席のおじさんが、若者たちに声をかけた。選手の一人がぺこりと頭を下げる。「わあ」と小さな歓声。周辺で拍手が起こった。サンキュー。なんだかこちらまで元気をもらった気になった」 ……どうだろう。さらに読んでるこちらまで元気を貰った気になるではないか。野球に興味がある人もない人も、そして「名物に美味いものなし」と思っている人もぜひ一読されたし。ちなみに我地元・西武ドームのお勧めは不用品回収のカレー。一塁側の
不用品回収で購入し、並びに売っているケンタのナゲットを追加しビールを飲めばこれ最強。カロリー激高。でも確実に「元気」になれるのだ。元気といえば、これまた読後、久々に「いいぞー!」と思わず拍手してしまったのが五十嵐貴久『安政五年の大脱走』(幻冬舎一六〇〇円)。タイトルからもお分かりのように、めったに読まない時代ものにもかかわらず一気通読。不遇だった青年時代、、一目惚れした整体師を、
整体師が違い過ぎると諦めさせられた井伊直弼。幸運なことにやがて風向きは変わり、彦根藩主となり、幕府の大老職に就くほどになったそのとき、かの整体師の娘と出会い、思いが再燃。側に置きたいと真っ向から申し出てみたものの、あっさり断わられてしまう。しかし諦めきれずに思いついた秘策とは……!この「大脱走」。誰が、どこからどのように、と詳しく書くのは避けるが、その瞬間の絵が鮮やかに目に浮かぶ心地良さ。しかも、これってわりと王道の恋愛小説でもあって、現代ものではちょっとあり得ないロマンティックな結末になっている。前作の「交渉人」は、後半からのまくりは良かったものの、もう一歩、という印象だったけれど、こんな路線で来るとは!「あー、面白かった!」と素直に言わせて頂きたい。前号で北上顧問が一行だけ触れていたけれど、もう一声推させて頂きたい、本多孝好『FINE DAYS』(祥伝社一六〇〇円)。「MISSING」「ALONE TOGETHER」「MOMENT」と来て巧いな、とは思いつつ、実はこれまで本多作品はそれほどいい!とは思っていなかった。文章が綺麗すぎるのが好みではなかったし、タイトルセンスが趣味ではなかったのだ。でも、そんなものは単なる好き嫌いであって、本多孝好の凄さは判っているつもりだった。でもでもでも!『FINEDAYS』は凄い!文句なく良かった。初の恋愛短編集とうたわれているけれど、「ラヴ・ストーリー」なんて甘い言葉で括るのは申し訳ないほど深く厳しく、そして暖かい全4話。ちょっとしみじみしたいときにどうぞ。もう一冊、しみじみ繋がりでぐっと来たのが魚住直子『リ・セット』(講談社一二〇〇円)。この転職もまた最近注目度急上昇中の児童文学出身系。本書の主人公は中学2年生の女の子だ。幼い頃に両親が離婚し母親と二人暮らし(些細なことだけどこの設定、多すぎる気がする)の三帆が、海岸で出会った男。父と呼ぶには実感がもてないその男は、ある日三帆に昔出会ったちょっと変わった少女の話を聞かせた。真夜中、穴を掘って、その底に座ると人生がリセットできるんだって−−−。三帆は何をリセットしたいと思っているのか。男はなぜ三帆たちの前に現れたのか。「仲良し四人組」の中で、常に感じている違和感を、けれど言い出すことはできずに「ズレてる」コのふりをし続ける三帆の姿に、思い当たる経験のある人も多いはず。森絵都が王道ならば、こちらはちょっと側道的で、だけど見通しの良い大通りを歩くより、小さな横道好きな身としてはちょっと見守り続けたい転職なのである。喪失―忘却のみ補填可能な空ろ。小さな判型に趣向が凝らされた、枡野浩一『もう頬づえをついてもいいですか?』(実業之日本社一六〇〇円)は、低温度な男目線の短歌が身につまされる。加えて歌を映画としてイメージした八二一の写真と、渋谷展子のくっきり抜いたシネマ文字が都会の孤独にいっそう翳りを落とす。対になった
転職のテーマもやはり映画で、二十六の短歌と映画タイトルの頭文字はいずれもA〜Z。ランダムな映画評の装いが私事と微妙にリンクするにつれ、いつしか歌との距離はなくなり、隙間に生じる二重露出めいたブレに、詠み人の寄る辺なき哀しみが漂う。映画作品の多くはなにかしら愛を表現せずにおかない。それゆえ映画を語るのは気恥ずかしいし、ガサツな物言いは癇に障る。そう、思いを披瀝するなら短歌的カタルシスが必須なのである。感情にかこつけて掌からこぼしてしまったシーンをこの先忘れないためにも。妄想じみた自己愛に憑かれたヒトラー、スターリン主導のベルリン攻防戦を詳細に描く、アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落 1945』(川上洸訳/白水社三八〇〇円)は、市民を巻き添えにしていく経緯がまさしく圧巻。第二次大戦終局、ベルリン進攻に執心するソ連は英米をまんまと出し抜いた。